2021/01/19 15:00
難病で視力を失った和歌山市職員の山崎浩敬さん(58)が10年以上にわたり、地元の小学生に助けられながらバス通勤を続けている。ある女子児童に声をかけられたのが始まりで、その児童の卒業後も後輩から後輩に「善意のバトン」がつながれてきた。今月、児童たちと再会した山崎さんは「不安だった通勤が楽しい時間になった」と感謝の思いを伝えた。(大田魁人)
少女の声が
山崎さんは32歳だった1994年、進行性の目の難病「網膜色素変性症」と診断され、40歳を手前にして通勤で使っていたバイクの運転もできなくなった。
2005年に休職して訓練施設で白杖の使い方などを学び、06年に復職。最初は家族に付き添ってもらっていたが、08年から一人でバス通勤するようになった。
視力の低下でバスの乗り口を探すことにも苦労したが、一人で通勤を始めて1年がたった朝、停留所で待っていると、「バスが来ましたよ」と少女の声がした。「乗り口は右です。階段があります」。少女はそう言い、座席に案内してくれた。
同じバスで通学する和歌山大付属小学校の児童だった。降りる停留所も同じで、それ以来、名前も知らない女子児童は毎日助けてくれた。児童は3年後に卒業したが、新学期に入ると、別の女子児童が助けてくれた。
山崎さんは14年に失明したが、児童たちのサポートは途切れることなく続いた。「おはよう」「寒いね」。児童との何げない会話が朝の楽しみになった。
===== 後略 =====
全文は下記URLで
https://www.yomiuri.co.jp/local/kansai/news/20210119-OYO1T50015/
涙出そう
素直に素晴らしいと思う。
>>6
手を引いてくれる女子小学生の体をあちこち触る妄想をした俺も許してほしい
>>11
そこが難しいところよな
教育だから、こういうのは大事だと思うんだけどわざと仕向けすぎるのもよくないし
>>22
すまない、ハゲに人権はないんだ
だとしたらなんなんだ?
市職員じゃなかったら
何もなかっただろうね
それでも保護者が騒いでやめさせなかっただけまとも
万一事故があったら子供達の心の傷は計り知れない
それをわざわざ言う必要がどこにある?
関係ない話を作って水差して楽しいか?
お前そんなだから友達いねーんだよ
>>11
人助けとかやった方がいいことというのは、仮に嫌々やらされていたとしても将来必ずやって良かったと役に立つときがくるからな
嫌々だったらやらせる必要ない!となんでもかんでも素通りの人生だと大人になったとき変な大人になる率高いんだよ
目が見えない人に仕事を与えてくれる和歌山って、素晴らしい
子供に「困っている人がいたら助けなさい」と言えなくなってきたよ。
捨てたもんじゃないな
涙腺がもろくなる
世の中がこういうニュースで溢れたらいいのに
各学年の普通学級とともに支援の必要な児童たちのクラスも必ず併設されていて、
ボーダレスに仲間を支えあうマインドが身につく教育を大切にしている。
なので、困った人を見かけたら当然の行動として力になる。
学業に熱心であると同時に人間性を重視するのが国立大附属学校ってイメージ。
ほんと、国大の附属小の児童たち困っていそうな人に自然に声かけしてる。
ボクは香川と横浜で体験しました。素晴らしい学校だと思いますよ。
付属出身者の多い高校に娘が入学したけど、
ほんとうに優しいんだわ
少し重い書類を持って歩いていると、
さっと人が出てきてクラスまで運んでくれる
善良な方向に教育されていて、知能が高い
人それぞれだろ…
>新学期に入ると、別の女子児童が助けてくれた。
ここ読んで号泣
善意ではなくて社会制度で支えなければならないのに。
人と接するのが嫌な盲目の人にとってはストレス溜まりまくるし。
ありがとう、大丈夫。
の一言が言えないのは障害か?
これはもう道徳授業教材ですね
あと、盲目の人全員に同じように子供をつけて平等にしなくてはいけない。
「おばちゃん、座りな!」とみんなさっと立ち上がって、その後は普通に楽しそうにおしゃべりしてたな。
俺は都内に住んでるが、最近こういう光景見たことなかった…
とショック受けたのと、地方って良いなあ、、と思ったのを覚えてる。
知ってるって重要なんで、こんな手伝いでも子供たちにも利益はあると思う
俺は補聴器が後ろからの声は拾わないとか、聴覚障害者の母国語は手話で、日本語は外国語だというのは接するまでしらなかった
貴重な子供の時間を大人が貪るのは、罪だと思う。強く思う。
引用元: ・【和歌山】 失明男性通勤、小学生が支え 10年超途切れず、優しさのバトン…「不安消え 楽しい時間に」 [朝一から閉店までφ★]